この子が生まれたのは、2001年。今は21歳になりました。
私と息子はお誕生日が一緒です。
同棲から始まった結婚生活で、10年間子供が出来ませんでした。
諦めた頃、出来たのが息子です。
自分が母になる事の、実感はあまりありませんでしたが、ただ喜びと誇らしさがありました。
お誕生日が同じ事に気が付いたのは、出産中です(笑)
予定日よりも11日早く生まれて来ました。
力みたくならないのに、力めと言われ、ただただ、疲れ、途中で眠たくなってしまいました・・・
なかなか生まれて来ないので、吸引する事になりましたが、無事に生まれて来てくれて
ホッとした事を覚えています。
今日は息子の事について書こうと思います。
今、息子とは一緒に住んでいません。
引越しをした時に、付いては来ませんでした。
元々離婚をした時に、元旦那だけが出て行って、私と息子と娘、犬、猫が残り
暮らしていました。
家はローンがあるのですが、元旦那が支払い、これを養育費としていました。
家賃が掛からないので助かりました。
この家は子供達が自立し、一人で暮らしていける様になるまで
10年ほどと、約束して、住んでいたのですが、
愛犬が亡くなり、息子が就職し、娘も高校を卒業後、就職する事になり、
あまりお金も掛からなくなったので、あと4年を残し、
私自身環境を変えたくて、早々に引越しを決めました。
家には元旦那が戻ってくるので、息子はそのまま残る事に決めた様です。
子供達の環境を変えずに過ごせた事をありがたく思っています。
大型犬も居ましたので、本当に助かりました。
息子とは仲が悪いです
遅く来た反抗期か、親として見限られたのか、
2年近くまともに口を聞いていません。
元々、小さな頃から、クレーマーです。口を開けば文句しか言わない様な子でした。
何かあると、人のせいにしたり、物のせいにしたりする自分中心な所を
正したくて、この事についてはかなり口うるさく言いました。
これはこの子を否定して育ててしまったと、反省しているのですが、
これが原因だと思います。
もっとおおらかに育ててあげられたら、この子の良いところが
たくさん出て来たのに・・・
自己肯定感の低い子になってしまったと思います・・・
親として、必死だった事には違いありませんが、
怒りすぎたと思っています。
自分中心は自分を持っている証拠
この子は真面目で、自分で決めたことは続けていける子です。
小さな頃から物を作るのが好きで、将来の夢は「きこり」でした(笑)
自分で木を切るところから何かを作りたい。と言いはじめ、
木彫り職人、家具職人、大工と木を扱うことがやりたい様でした。
小学1年生の時、担任の先生から、「図工の才能があるので、ぜひ伸ばしてあげてください。」
と言われたことがあります。何かを作る事も好きでしたが、絵を書くのも上手でした。
今思えば、もっと色々やらせてあげればよかったのですが・・・
小学生になると、大工さんになりたいと言いはじめたので
建築を学んだらどうかと言ったところ、本人がやると決め、
中学、高校は自分でしっかり勉強し、塾にも行かず、大学に入りました。
この子は良い塾に行かせてあげたらもっと伸びたと思います。
親として
私は親としては出来がかなり悪く、叱ると言うより、怒ってばかりの
子育てでした。
子育てはとても辛かったです。
子供も同じじゃないかな?!
子供に育ててもらってる感はとてもありました。
よく親は無償の愛をくれると言いますが、
私自身、親からの愛を無償だと思った事はなく、
自分が親になってみても、無償の愛を与えたとは思いません。
無償の愛は、子供がくれる物です。
子供はいつでも親のことを愛し、守ってくれます。
そんな存在を大切に育てたか?と聞かれれば、
そうだ!とは言えないほど、当たり前の所有物になっていたかも知れません。
反省ばかりの子育てでした・・・
息子は18になると、バイクの免許を取り、バイクを大切に乗っていました。
私は危ないからと、反対しましたが、本人のやりたい事なので、
あまり強くは反対出来ませんでした。
気持ちは良くわかりますからね。
高校生になって
高校生になって初めは部活をしていましたが、
1年で辞め、その後はアルバイトを始めました。
アルバイトを始めてから、朝起きることが辛くなって来た様で、
遅刻が増えてしまいました。
本当はアルバイトはさせたくなっかたのですが、
一人親家庭なので、お小遣い稼ぎになり、正直助かりました。
そのせいで、大学の推薦は受けられませんでしたので、親としては失格です。
一般受験で大学に入り、建築科に進みました。
大学生活
短大ですので、2年間しかない中、うち1年間は、コロナの影響で、
リモートになり、成人式も中止になり、せっかくの大学生活を満喫出来なかっただろうと
思います。
大学は、人脈作りの基本だと思っていますので、残念でなりません。
大学に入っても高校生の頃からのアルバイトを続け、結局4年間同じところで働いていました。
4年制に編入すると言っていたんですが、結局2年で卒業しました。
大学2年になってからは仲が悪くなっていましたので、
詳しい訳は聞いていませんが・・・
おそらくギリギリまで4年制に進もうと悩んで、就職活動はしていなかったのでしょうね。
卒業してもアルバイトをしていました。
それから1年ほどしてから就職が決まった様です。
今は建築士見習いでしょうか?現場監督をしています。
2歳の頃
2歳になったかならないかの少し話ができる様になった頃、と言ってもまだカタコトで、
言葉数も少ないのですが、
「なんでお父さんとお母さんのところに生まれて来てくれたの?」と聞いたことがあります。
息子は少し間を置くと、神妙な面持ちで、「会いたかった」と言ったんです。
これにはびっくりしましたが、涙が出てしまいました。
会いたかった、なんて言葉を言ったのはこの時が初めてでした。
こんな私を選んで来てくれたんだ。と感動しました。
3歳の頃
3歳になりたての頃、お腹の中の様子を教えてくれたことがあります。
お腹の中に来る前は上からお母さんを見つけてお腹の中に来たんだ。と。
お腹の中はあったかくて、青と赤って言ってたと思いますが、線があった。
お母さんの食べた物を一緒に食べた。と
あまり色々聞くと教えてくれなくなって、違う話になってしまいました。
懐かしいです。
この先は
息子の夢が叶います様に。
この子が幸せだと思う人生を送れます様に。
ただ祈るばかりです。
ダメな母でしたが、この子を愛しています。
たくさんの愛をありがとう。
貴重な経験をありがとう。
たくさんの愛をありがとう。
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